当初予定していなかった茅葺き屋根再生に踏み切ることになった。資金繰りは厳しいが、裏山の風景にさぞや溶け込んでくれるだろう。「火と生活」という文明の根源ともいうべき「かたち」を再現して暮らすことは大変だろうが、わくわくしているのも事実。栃木県では茅葺き職人が少なくなってしまっているが、その技術を保存しながら現代の技術との融合を目指されている人達もおられる。今回、JMRA認定業者としては栃木県初の茅葺屋根保存協会さんの支援を受けることになった。近所の人の話では、再生現場でも50年ぶりの茅葺き風景となるとのことで、もちろん私にとっては初体験である。しっかり、この眼に焼き付けておきたいと思う。
GWの始まりにワークショップを設定したため参加者が集まりが今ひとつであったが、今回も新たな出会いが生まれたことに感謝している。近所の方の話では少なくとも30年前にはトタンを被せたとのことであったが、これをワークショップが始まる前に撤去してもらった。本当はこれもWSに組み込めればよかったのだが、時間の都合で業者任せにした。後で聞いたのだが、西側の入母屋との空間の部分には巣らしきものと、大量の糞があったそうだ。狸か何かが住処にしていたのだろう。
当日現場に行って目に飛び込んで来たのは、本当に草臥れた姿の屋根であった。トタン屋根の時は入母屋であったが、元々寄棟であるため本当にシンプルな民家の姿を呈していた。
サスが倒れていた東側(左下写真の右側)は見事に潰れており、入母屋に強引にするために藁がたくさん積み重ねてあった(右下写真参照)。
茅を下ろす前に、サスを補強するために大工による筋交い入れ作業から始まった。今回の大工仕事は、茅葺屋根保存協会の吉村社長からのご紹介で、地元真岡の小宅親子にお願いすることになっている。今後家づくりを進めて行く中で交流を深めて行きたいと思っている。私の幼少の頃の思い出にもあるが、家を建てるときの大工さんや左官屋さんは格好よくて、色んなことを教えてもらえる特別な存在であった。子ども達にそんな体験をさせてやりたいと思っている。
いよいよ茅下ろし作業の開始である。今回は茂木町の親方と3人の若手職人の4人が助っ人として来てくださった。当初はワークショップ参加者にも屋根に登って体験してもらう予定であったが、屋根の老朽化で足場が不安定なため危険を伴うとのことで、現場監督の指示に従い参加者は茅を畑に運び出す作業に徹することになった。
初日は、前回も参加くださった横田さん、木村さん、そして初参加で現在都内の大学院で建築を学んでいるという澤田さんの3人に参加いただいた。下ろす方も運ぶほうも煤で全身真っ黒になりながらの作業であったが、解体WSの時に比べれば格段楽であった。
当たり前のことだが、適当な所から剥がしていくのではなく、上の方から順番に下ろしていく。つまり、葺く時の反対というわけだ。横田さんが万歩計をもっていたのだが、半日で1万歩を越えていた。家の前の畑との往復の回数が計り知れよう。
上段の茅下ろしが済んだところで10時の休憩。子どもの日が近いということで、柏餅をいただきながらの休息となった。「親方は70歳代だが屋根に上がるととても敵わない」と後日水野専務から聞いた。素人が見ていても動作リズムが一定で、無駄がないということが感じ取れた。
作業を再開してしばらくすると、JMRA友の会に入会されいる県北の千保さんが友人を連れておいでくださった。お子さんが小さいとのことで、0歳児をおんぶしながら昼食とお茶の用意を手伝ってくださった。大変気さくで自然体な育児をされているご様子で、子ども達も我が家の餓鬼共を引き連れて野山を駆け回っていた。やはり子どもはこうでなければ・・・と思う。
昼食を挟んで作業も順調に進み、あっという間に終盤に差し掛かってきた。若手二人は7年目とのことであったが、昼休みに話をしてみると自分もいつかは茅葺屋根の家を建てたいとのことであった。大変心強く、このような若者にスポットが当たる社会にしていきたいものである。
予定より大幅に早く、14時過ぎには全ての茅を下ろすことができた。煤で真っ黒になったサスに数十年ぶりに日光が差し込んだ。あらためて100年の履歴を感じずにはいられなかった。
屋根に登って東側の倒れたサスを見に行った。写真右側のサスが本来は左側のサス受けの窪みに立っているはずのものである。
右下の写真のように本来はサスが固定されている。見るほどに先人達はこのような工法を思いついたものだと感心させられる。このトラス構造で1平米当たり約100kgといわれる茅を支えるのだから、やはりすごいの一言だ。
作業を終えてしばし歓談。煤竹は残念ながらほとんどが虫が入っていて木材としての強度はない。しかし、この中から使えそうなものを選んで保管しておき、火棚を作れればと吉村社長がおっしゃってくださっている。火棚は囲炉裏から出る火の粉を防ぎ、煙や熱を拡散させる役割があるそうだ。また、これに魚などを吊るして燻製にして保存食とするという調理器具でもある。貴重な火を有効に使う知恵に感服する。
汗ばむほどの陽気だったが、夕方には急変して雷雨に見舞われそうになった。急いで子ども達と筍掘りをして記念写真。本当にお疲れ様でした。
翌日は下ろした茅の後片付け。今日はエコハウスの野村さん、そして昨年以来お付き合いさせていただいている、元プレジデント編集長の田舎暮らし奮闘記で有名な樺島さん、妻の友人の日高ご夫妻、そして昨日から引き続き横田さん、途中から同じマンションの松本ファミリーが手伝ってくださった。昨日の雨で茅が湿って重くなっている中での作業であったが、人の手はやはりすごい。順調に作業は進んだ。
今日の昼食は釜でご飯を炊いてみた。妻にとっても初めての体験だったようだが、少し固かったものの本当に美味しかった。香りがまずなんといってもいい。さらに、お米一粒一粒に独特の温かみを感じる。ますます釜戸づくりに挑戦したいという思いが膨らんだ。参加者もとても喜んでくださったのが嬉しい。白メシに汁と漬物、これぞ日本の心である。
2日目も午後3時前には全ての作業が終了した。畑に詰まれた茅の量は思った以上に少なかったが、これだけの量の茅を確保するのは大変であったろう。ススキ、稲藁、麦藁の3種類が使われていた。近所の爺さんが、昔は裏山の上に茅場があったんだ〜なんておっしゃっていたが、一度登ったことがあるが結構急斜面である。これをほとんど手作業でやっていたんだから、やはり地域の協働力と技に頭の下がる思いである。
茅の一部は裏山にも積み、梅雨前に下草刈りをした後にマルチとして使おうと思っている。また、木の根本や通路にも敷き詰めて利用している。近所の農家の方からも使いたいという申し出をいただいているので、意外と用途はありそうである。
2日目も天気に恵まれ、気持ちよく作業を終えることができた。GW明けからジャッキアップをしてベタ基礎に上げ、歪み調整が始まる。本格的な新緑の季節に茅が下り、黒ずんだ古民家の構造が映える。
今回、留学生の林さんと黄さんが参加してくれた。黄さんは韓国の交換留学生で、母国では服飾に関する研究をしているのだそうだ。彼女はまだ日本語が上達していないので勘違いしたのか、新築祝いを持ってきてくれた。少し気が早いと言えばそれまでだが、その心遣いが嬉しい。特に、麻紐、使用済み紙袋等を利用してオリジナルラッピングを施してくれていたことに妻と一緒に感動した。手作り感がとても温かく、デザインのセンスもいい・・・まさにロハスである。特別なものにお金をかける満足には限界がある。究極のロハスはやはり自らが手間ひまをかけた真心だろう・・・
今回も和田社長と専務には両日ともお世話になった。本当に心より感謝感謝である。ここからは社長の腕の見せ所。どんな風に私たちのイメージを具現化されるのか・・・楽しみである。 次回ワークショップは5月下旬から6月上旬に「茅葺き」である。これは本当に見ものであり、私が一番ワクワクしているのかもしれない。多くの方々の参加を期待したい。
GW後半は横山町の畑の整備に汗を流し、藍と綿の栽培の準備をした。そして、子どもの日に馬頭に出かけて花の風祭におじゃました。ワークショップに参加いただいた椛島さんの妻様の押し花を見に行くのが目的だった。途中渋滞に巻き込まれ、昼食を摂るのに時間がかかり、会場についたのは15時過ぎだった。町民による手作り祭ということで、温か味のあるほのぼのとした雰囲気で心からリラックスできた。
翌日はあいにくの雨だったが、桑窪で後片付けと山の恵み、そう筍の灰汁抜きなどをして過ごした。大量に採れた筍は翌日食物学担当の大森先生に謹呈し、学生の調理実習に使ってもらうことになった。
その他、たらの芽、山ウド、山蕗を収穫して堪能した。山、土に感謝!季節を庭や裏山に感じながら生活する日が本当に待ち遠しい。
GWも終り、いよよい今日から本格的な工事が始まる。まずは、水平をとるためにベタ基礎の上に家を持ち上げる。家全体を一気にジャッキアップすることも現在では可能であるが、予算の都合で一部ずつ上げていく工法で対応していただいた。沈みの大きい西側の足固めに鉄製のレールを取り付けていく。
そして、バランスを見ながらジャッキで上げていく。写真のように見事に柱が浮いていく。
しかし、30cm近く高低差がある上に北側に倒れているためか、途中所々のジョイント部分が外れたり、ずれたりする個所があった。素人が見ているとハラハラせずにはいられないが、職人さんは実にマイペース・・・経験の成せる技であろう。
写真左側は南の縁側部分の柱であるが、手前から二本目の柱のところが最も北に倒れており、ジャッキアップすると柱1本分北側にずれている。写真右側は西側の部分であるが、見事にベタ基礎の上に持ち上がっている。
また、今日は木材が搬入された。工事が始まる前に鹿沼の西村製材さんにお邪魔して供給の相談をさせていただいた。できれば県産の木材を使いたいと和田社長に相談していたのだが、農学部の山本先生に紹介いただいたのがきっかけである。当店はSGEC『緑の循環』森林認証制度を06年に取得されている。森林資源が豊富な栃木県のあるべき姿で、地元で育まれた木材を次の100年に生かせることを大変嬉しい。
ジャッキアップが完了し、いよいよ大工仕事の始まりである。依頼している大工の小宅親子が他の工事との関係で来られないため、急遽その仲間大工さんたち5人が助っ人として仕事をこなしてくださった。茅葺屋根を再生することになり、当初のスケジュールが変更になったためであるが、茅葺屋根保存協会さんと付き合いがある大工さん達ということで安心して見させていただいた。
写真左のようにチャッキアップされた柱の根元に「ほぞ」を加工し、柱体を乾燥檜の柱でサンドイッチして足固めをするというもの。和田社長からおおよその話を聞いていたのだが、このような工事になるとは想像もしていなかった。写真右は大黒柱周辺の様子である。
この「ほそ」が受けとなる柱の「ほぞ穴」に抱えられ、アンカーボルトで2本の足固め用の柱を固定するというものである。資金があって家全体を持ち上げるようにすれば、わざわざこのような手間をかけること無く足固めができるのだが、それはそれで大工仕事の素晴らしさを見ることができてラッキーかもしれない・・・
両側からの固定が終わったら、最後に「ほぞ」部分に込み栓を打ち込んで完成。現場に着いたときに黙々と現場で木を丸く削っていた大工さんがおられた。最初は何をされているのかわからなかったが、作業終盤にようやく理解できた。これには樫の木を使うのだそうだ(硬いといえば欅なども使われるのだろうか・・・)。樫は非常に密度が大きくて重みのある硬い木である。ノミなどの工具の柄や拍子木に使われてきた身近な雑木である。現在では非常に貴重な木となってしまっているが、天然染色においても藍建をするときのアルカリを採る木灰(クヌギなどの雑木に比べて非常にpHが高い)として昔から利用されており、いかに日本人の生活に密着してきたかを物語っている。
そして、やはり大工の魅力といえば使い込まれれ、よく手入れされた数々の道具である。幼少の頃の記憶の中にカンナがけやノミでほぞを作ったりする姿に魅了されたことが刻み込まれている。最近の家作りだと伝統的な工具があまり必要ないらしい。その話を聞くと「技能」が必要なくなったのは確かに技術の進歩であるかもしれないが、住宅がどことなく味気ないものになり、均質化してきていることに納得もいく。と同時に、有能な大工を生かしきれていない現状を再考すべきであろう。やはり施主がポリシーを持って家造りを考え、それを親身になって支える体制が必要ではないだろうか。
お昼休みに大工さんにお願いして、反ってしまったお釜の蓋を直していただいた。このような交流も伝統的な家作りの醍醐味であることを忘れてはならない。子どもが丁度水疱瘡になってしまい連れて来れなかったのが残念だった。
夕方にはきれいに後片付けをしていただき、不安定だった古民家にどっしりとした安定感が出て来た。これで屋根のサスを調整して家全体の歪みを修正していくことになる。この土台に茅がのる日が楽しみである。
このところウィークデーに現地に行けず、職人さんと話をする機会がとれなくて残念だ。1週間ぶりに現地にいって様子を伺ってみると、足固めの工事は終り、縁側と玄関の部分のコンクリート基礎が完成した模様。今は設計が確定している柱等を現地で加工している状況だそうだ。プレカット材であっという間に建つ今の家とは違い、そこに職人の技が披露される。
墨入れした角材に仕上がり線が引かれ、それを手作業で加工していくのだが、興味深い話を大工の佐々木さん(偶然にも同姓)から聴いた。それは、加工するときに『柱を跨いで作業をしない』ということである。もちろん跨いだ方が作業はしやすいのだが、家の部材となる1本1本の木に神様がいて、「それを跨ぐなどというのはけしからん!」という大工の教えなのだそうだ。八百万の神信仰が根強い風土に、仏教が融合して生まれてきた独特な生命観が、こんなところにも息づいていた。作る側も大切に材料を扱って建てる家だからこそ、長く大切に使うという価値観も育まれよう。
加工中の柱であるが、「ほ三」と書かれている。今でも大工さんは「いろはにほへと」である。「ほ」列の「三」番目の柱ということを表わすのだそうだ。そして組み方にも色々あり、適材適所に選択されていく。この仕事は本当に飽きずに、いつまでも見ていることができる。
解体ワークショップでお手伝いいただいた、
民家リサイクル協会お助け隊の安田さんから心温まる贈り物が届いた。
解体した煤けた板を加工して写真立てとコースターを自作して送ってくださったのだ。お手紙の内容を一部紹介したい。
『過日の解体WSにはお世話になりありがとうございました。その折、分けて頂いた床材で小品を作ってみましたのでご笑納ください。(中略;作品の作り方が詳細に書かれている)この木のスベスベ感と暖かみのある感触が私は好きです。』
作品の他に、未加工の板とサンドペーパーが同封されていて、子どもと実践できるように配慮されていた。安田さんに心からお礼申し上げる次第である。
久しぶりに家族で現地に行った。小宅大工さんの代理で来てくださっている飯田大工さんたちが黙々と作業されていた。お風呂場とトイレの増築部分がほぼ組み立てらていた。古材と新材のコントラストが美しい。
裏山の下草刈りをして,下ろした茅をマルチとして敷いていく。所々に夏茗荷が芽を吹いており,春から夏への移り変わりが感じられるようになった。ただ,今年は梅雨前から夏日になる日が多く,作業するものには些か厳しい。
3時の休憩で飯田大工さんから「今日で我々はおしまいですので」と伝えられた。色々と木のこと家のことを伺えて楽しく過ごすことができ感謝している。まだ40前の若手大工さんですので,これからの仕事が楽しみである。
翌日も晴天に恵まれ,まずは廃材を利用して裏山にある祠までの階段を作ることにした。このような階段を何箇所かに作っていく予定である。
夕方前には作業が終了したので,どんぐりの苗木を定植することにした。お正月に兵庫の実家に帰って子どもと天神さんで拾って来たどんくりを秋に植えておいたものだ。この木の成長とともに子どもが大きくなっていく過程を楽しみたいものである。
さっきまでママゴトをしていた娘も,「わたしのドングリも欲しい」といって作業に加わってきた。さすがに6歳だけあって手際よい。
作業に飽きたのか,子どもたちは木に登って猿状態。早く大きな木に登らせてやりたいものである。最近は学校や公園から登り棒がなくなってしまったが,やはり猿から進化したためだろうか,木登りは楽しいものである。
今日から小宅大工さんらの仕事が始まった。茅葺き工事に向けての大工仕事がどのようなものなのか。今から楽しみである。
まずは,サス受けを支えるためのツカを入れていく。ジャッキアップをしながらツカを垂直に立てていく。
東側から2本のサス受けは折れているのだが,縁側から見えてしまうため何とかブレードで繋ぐようにするそうだ。少し痛むと直ぐに交換とうい現在において,このように何とか使えるようにしてやることの大切さに気付きたいものだ。
また,ロフトになる部分に足場を作っていく。二階(?)での作業をしやすくするためには必要な準備である。煙出しを作っていくための足場でもある。
当然であるが,木は全て現地カットだ。親方が墨付けをしてカット指示をする。これを見ていると,小さい時に大工さんに憧れたのも納得できる。日陰でないのでご苦労な作業だけに子どもに是非見せたい風景でもある。
夕方にはツカ関係の工事が終了した。毎日来られないため妻が作った職人さんへの気持ちを伝えるTシャツ。金を払う方が偉いというような風習が強くなってしまった現在,やはりどんな立場でも他人を思える感性が必要ではないだろうか。
大工仕事を楽しみながら,今日は南側の斜面に階段を設置した。ここは本当に急なだけに便利がよくなった。また,斜面での階段は土留め効果もあるため,それを意識しての作業でもある。
今週末は両日とも初体験続きだった。土曜日は娘がバレーのため息子と一緒に電車とバスで現地に来てみた。息子は乗り物好きのようで,とくに電車にはこだわる。元気アップ村に併設されている遊歩道を歩きながら新緑を満喫していたら,現地に着いたのがお昼であった。大工さんたちとの食事も楽しい。
午後は水回りの土留め作業を行った。梅雨時期の土砂流出を防ぐためであるが,風呂場周りの基礎を保護するために,今後本格的な土留めをしなければならない。
翌日は途中で網を買って来た。桑窪でアウトドアの代名詞であるバーベキューを初めてやってみた。子どもたちはお隣のおじいちゃんにもらったタマネの皮むきが仕事。お手伝いをしたあとのご飯は本当に良く食べる。このような環境で食事をしていると,「よく遊び,よく学び,よく寝る」という子ども像が現実のものとなる。
焼きたての手羽元と野菜と釜炊きの白飯。本当に豊かであると思う。大分釜で炊く感覚も身に付いて来た。これからも経験を積んでいきたいと思う。
子どもも大喜び!ただ塩を降っただけであるが実に美味い。日がどっぷり暮れるまで楽しんだ。午後は雨が降ったので軒下で南天の木を使って箸作りに挑戦してみた。無心に木を削ったのも何年ぶりだろう・・・こんな時間が本当に大切なのかもしれない。
しばらく木材のカット作業に追われておられたが,ようやく屋根の部材の削り出しが終ったようだ。残っているサス4組を東西に2組ずつ移動させる作業から始まった。
クレーンを使っての作業だが,足場が不安定なため慎重な作業である。といっても,大工さん達は楽しんでいるようにしか見えないのだが・・・サスの太さが一定でないので,受け穴が小さいためノミで調整しながらの移動となる。
移動が終るとサスを仮固定していく。今でこそ電動工具や木ねじなどの道具が揃っているから容易くみえるが,昔は全て手作業だったんだとづくずく思い知らされる。
東側も同様でサスの移動を行っていく。クレーンがあるとはいえ,互いの息を合わせての作業を唾を飲む思いで見るほかない。
さて,いよいよ数日間削り出した煙出し用の櫓を組み立てていく。見事に寸法が合っていく様には感心させられるし,組み上がった継ぎ手の部分に美しさを感じるほどである。
とはいっても,古い梁に立てていくため,所によっては微調整が必要である。プレカット住宅では考えられない風景である。
柱が立ったところで梁を入れていく。が,こんな梁を人力で屋根に上げて組むことを想像するだけで,昔の職人の技に感服するのみである。
最後に本来サス構造になっていた3組分を加工して櫓に継いでいく。これもチェーンソー等で調整しながらの作業である。
一見2階建てのようだが,ここに茅を葺くため最終的には少し大きめの煙出しが載っているように見える。この日も猛暑だったため作業は大変だったかと思うが,事故もなく無事終了したこに感謝したい。
翌日は屋根作りである。
垂木をつけた所に野地板を張っていく。あらかじめ降りてくるための柱を出しておく必要がある。作業中大工さん達がふざけて「降りられないけどどうする?」と親方に言うと,「今日はここで泊まっていけ!」と大笑い。
下で小宅親方が野地板を調整して屋根に上げる。連携作業の手際よさが見ていて気持ちがいい。どんどん屋根らしくなっている姿をみているとワクワクしてくる。
私は東側の斜面の土留め作業をし,その斜面から裏山に登れるように土留めを兼ねて階段を作ることに専念した。連日の猛暑が体に堪える・・・運動不足の私だけだと思うが。
某自動車メーカーのユーザ向け情報誌のロケ地となり,撮影用のワークショップを開催した。コンセプトは「都会からファミリーが車に乗ってやってきて,古民家再生にかかわる」というもの。どのような紙面になるかは出来上がりを楽しみにするとしよう。土運びワークショップの設定で,前日に土間と縁側に土を入れ,残りを子ども達にやってもらった。大変暑かったため少し大変だったが,ももちゃんという女の子は最後まで楽しんでいた。
大工さんにお願いして,カンナ体験をさせてもらった。本物の道具で体験するというのは,感覚的に深く残るものである。それなりに様になっていて,できた削りかすは宝物といったところだろうか。
夕方4時過ぎまでロケが続き,親達の方がばてていたように感じた。というか、親の方がやはり純粋に楽しめていなかった気がする。子ども達はそれぞれ関係性を築いたようである。またプライベートに再会できることを楽しみに、お別れのシーンも3回取り直した。やはりロケというのは大変である・・・
来週から始まる茅葺きのための足場が搬入されている。いよいよ「茅葺きの技」の数々に触れることができる。本当に楽しみであり,多くの方に見てもらいたい。終了後は,元気アップ村で開催されていたスローフード栃木の懇親会に参加し,地元の食材を堪能させていただいた。
民家再生フォトギャラリーNo.3へ続く・・・